2004年2月21日
小林 富士雄
岸本定吉(きしもとさだきち)先生は平成15年11月15日逝去されました。享年95でした。「炭の岸本」として余りにも高名で、私など専門違いのせいもあって、遠くから仰ぎ見る方でした。亡くなられる半年ほど前にお会いする機会に恵まれ、その時の強い印象はいまも心に刻まれています。
実は「山林」の連載「昭和林業逸史」の原稿をお願いすべく昨年6月に三鷹のご自宅に伺いました。殆ど面識ない私に同行してくれた岸本先生の「教え子第一号」廣居忠量氏(前森林総研所長)のお陰で比較的楽な気持ちで先生に接することができたのは幸いでした。
原稿依頼の趣旨は、木炭は大戦前後枯渇していたエネルギ-資源
として家庭用だけでなく産業用 としても重要であり、木炭増産のための研究や施策に関わる回顧談を書いて頂くつもりでした。趣旨をお話すると先生は、一旦頷き私にとって意外な話を始めました。それによると、大学卒業直後に就職した水戸営林署に新設された小塚製炭試験地担任を命ぜられ、国有林の技術者に製炭の研修をすることが主務になり、これが炭と関わった端緒になったという。それまで炭の門外漢であったのに、三浦伊八郎教授(林産学)の弟子だから炭を知っているはずだと言われたと先生は苦笑された。
大戦後先生は希望して林業試験場に移り、それから木炭研究に精進され、木炭研究に一時代を画すことになるのですが、実はここまで聞き出すのに大変な苦労をしたのです。というのは古い話の途中で、話題はいつのまにか炭利用の将来にとんでおり、いかに炭が有用であるか、その無限の可能性を先生は情熱こめて説くのです。先生の関心事は未来だけであって、過去には全くというほどとらわれていないのです。そのため、「ところで、先生」と何遍も古い話に引き戻そうと試みたが無駄でした。お話の内容は貴重なので、廣居さんには、その時の取材をつなぎ合わせ原稿を書いてくれるようお願いをしています。
先日2月16日先生を偲ぶ会が茗渓会館で催されました。木炭関係者のみならず多彩な人々が集まり、70余年の生涯を炭一筋に捧げた先生の業績と人柄を讃えました。その折の写真と略歴・主著をここに掲載し、先生のご冥福をお祈りいたします。
2004年2月 小林富士雄
略歴
明治41年6月13日生 | |
昭和10年 | 東京帝国大学農学部林学科卒業 |
昭和10年 | 水戸営林署嘱託 |
昭和12年 | 同技手 |
昭和13~18年 | 従軍(主として中国戦線) |
昭和18年 | 富岡営林署長 |
昭和21年 | 林業試験場勤務 |
昭和24年 | 同林産化学部木炭研究室長 |
昭和25年 | 同林産科学部林産製造科長 |
昭和38年 | 東京教育大学 |
昭和39年 | 同教授 |
昭和47年 | 同退職 |
日本木炭新用途開発協議会会長、日本炭焼きの会会長等を歴任
平成15年11月15日没
主な著書
炭 | 1976 | 中央公論事業出版 |
---|---|---|
日曜炭やき師入門(杉浦共著) | 1980 | 総合科学出版 |
森林エネルギ-を考える | 1981 | 創文 |
炭 | 1998 | 創森社 |
なお、小学5年国語教科書(教育出版;ひろがる言葉)には岸本定吉「森を育てる炭作り」が載っています。