2004年4月23日
小林 富士雄
4月25日の第55回全国植樹祭に参加しました。今年の会場は宮崎市の北20㎞で、西都原(さいとばら)古墳群で知られた西都市の特別史跡公園です。ほぼ2×4㎞の洪積台地上には、建国神話にあるニニギノミコト、コノハナサクヤヒメの陵墓と伝えられるものを含み、300有余基の古墳があるということです。私の席からも古墳らしき塚が遠望されました。
この一角で行われる植樹祭は、好天に恵まれ、また宮崎県当局の意気込みもあって大変よかったと思います。とくに私が感心したのは地元すぎでつくられた神殿風の「お野立所」(両陛下の御席)で、120年生のスギの丸柱とかスギの平木(そぎ)を重ねた「こけら葺き」屋根など、まことに古式ゆかしい雰囲気がありました。招待席の材料もすべて地元スギで作られているように見ました。
宮崎県のスギに対する思い入れは格別であることは以前から承知しています。その一例は宮崎県木材利用技術センター(都城市)で、これを見学しようというのが、平成14年の山林会研修旅行に宮崎を選んだ動機の一つです。地元スギの素材のよさを生かしていかにその利用拡大を図るか、初代所長に東大名誉教授の大熊幹章氏を、その後任として最近有馬孝礼氏を招き、新規利用の技術開発に成果をあげています。両氏とも日本木材学会の指導者で、私もよく存じています。今回有馬教授は陛下に大型木造ドームのご説明をされるそうです。
宮崎県のスギは全国一の生産量で知られていますが、最近はまた中国へのスギ輸出の先鞭をつけたことで、林業関係者の話題になりました。実は中国福建省廈門市で行われた宮崎県・福建省の覚書調印式に際し、前知事の松形祐尭氏の隣に大熊所長とともに偶々同席する機会があり、前知事のスギ輸出によせる並々ならぬ情熱に打たれました。その後の輸出の動きは熟知していませんが、急増する中国の住宅の内装材需要に日本スギがこたえる日がくることを期待しています。
2004年4月 小林富士雄