2005年4月12日
小林 富士雄
4月6~7日に、吉野林業の中心地・川上村を訪ねました。別件で数年前に川上村を訪ねたことはありますが、吉野の林業経営の実態にふれるのは数十年振りのことです。今回は、吉野林材振興協議会の西本順蔵常務が同行され、川上村産業振興課の泉谷(いずたに)隆夫補佐のご案内で、主として川上村の村有林を見せてもらいました。
吉野林業は我が国の伝統的林業の一典型で、学生時代、ここを見ずして林業を語るなかれという教育を受けたので、吉野林業地に入る時はいつも聖地に踏み入るような気持ちがします。しかし、村の雰囲気は昔日とかなりの変化をしています。それは道路事情のせいでしょう。2時間近くかけて悪路を走ってたどり着いた伯母谷も、大台ヶ原ドライブウェーに入る自家用車が休日には列をなすそうです。
しかしながら、伝統的な吉野林業の基本である優良大径材生産という育林技術体系はしっかり残っていることを確認できました。もちろん、需要構造の変化に対応しようと利用面でいろいろな努力もしていますが、真円通直材づくりが理想とされています。優良材生産を支えてきた施業は、労務事情の変化に応じてモノレールの導入などの工夫がされていますが、村有林の間伐は伝統的な吉野式間伐法便覧にほぼ準拠して行われています。
外から見る限りでは森林はあまり変わっていませんし、土場で見る丸太も昔ながらの立派な材です。大きな変化といえば集運材でしょう。吉野でヘリ集材が始まったという話を聞いたのは昭和50年代だと記憶しますが、90%がヘリ集材であるという現実に接し本当にびっくりしました。ご案内いただいた上記西本さんは、1回の集材時間は3分が経済的な上限であると言われます。これ以下だと収益があり、これを超えると赤字になるという意味でしょう。ヘリ集材は、吉野林業のなかにシステムとして組み込まれているといっていいと感じられました。これが私の吉野林業体験記です。
2005年4月 小林 富士雄