2006年4月7日
小林 富士雄
近頃の新聞は連日ネパールの紛争を報じています。表面は国王の直接統治に反対する市民との争いですが、これによりマオイスト(共産党毛沢東派)と政府軍とが農村地帯で内戦状態になっている状況のほうが深刻だと思います。カトマンズでは外出禁止状態で、日本外務省も今月半ばに「渡航延期勧告」を出しています。愛するあのネパールがこんな状態から早く脱して欲しいものです。
ネパールといえば故渡辺桂さんの名が浮かびます。ネパキチ(ネパール狂)を自称していた渡辺さんは、「山林」の連載にネパールへ寄せる思いを何回も書かれています。この連載を中心に「春の岬」という本をまとめこれが絶筆となりました。この中にはケニアでの私のことも書かれています。卒業後に知りましたが渡辺さんとは教養学部の同期生だったとのことで、ゆっくりと自分の思うことに向かっていった末のネパキチでした。ネパキチは自ら信ずる「村落林業」を愛するネパールで計画し実行しました。
ネパール経験が一回きりの私が愛するネパールなどといっては、渡辺桂さんに恥ずかしい限りですが、今もネパールという活字には必ず目が行きます。私が初めてネパールに関心をもったのは、1956年の槇有恒隊長率いる日本隊のマナスル(8047m)初登頂です。その時の記録映画は、カトマンズのヒンズー教や仏教の色彩豊かな建造物やヒマラヤ山地の幾つもの集落の入り口にはためくチベット仏教の幟(のぼり)旗など、マナスルに至るまでの画面は今も目に残っています。そして純白のマナスルはまさに「神々の山」でした。
1996年11月AICAFの依頼で、主にカトマンズとポカラに滞在したときの写真を掲載します。その頃は西部の山岳地帯の一部にマオイストの動きがあるという話を小耳にはさんだ程度でした。貧ながら心豊かなネパールに平穏な生活が戻ることを願っています。
2006年4月 小林 富士雄