2006年6月9日
小林 富士雄
10年も前になるが、中国西北部で進行中の国際協力機構(JICA)研究協力プロジェクトの延長の話し合いと署名のため 、「寧夏回族自治区」の区都銀川(ぎんせん)に行く機会があった。銀川はかつての西夏王朝(1032-1227)の都であり、西夏は井上靖の「敦煌」の舞台となった王朝である。西夏王国は現代中国の甘粛省と寧夏回族自治区に当たる範囲を版図としていたが、北方に起こりモンゴルを統一したチンギス・ハーンによる遠征とこれに続く戦争によって王朝は10代を以て滅びた(なおチンギスは西夏滅亡を前にして死ぬ)。西夏初代皇帝李元昊(り げんこう)の時代に考案されたとされる「西夏文字」は、小説敦煌にも奇妙な文字として書かれている。西夏文字は一見漢字に近いが、漢字とは違う。これが西田龍雄氏(京都大学名誉教授)によって初めて解読されたことを知った時の興奮を今も思い出す。
寧夏回族自治区はその名の通り回族(イスラム)が1/3を占め、銀川にはイスラム寺院が目立つ。銀川市の郊外を西にゆくと、西夏王陵と更に西方に屏風のように連なる賀蘭(ほうらん)山が望める。賀蘭山は昔から騎馬民族の侵入を防ぐ天然の長城であった。銀川市の西南方向と、遙か北に向かって流れる黄河を渡った東方に、明代に築いた「万里の長城」址が残っている。黄河の取水で潅漑が行われている寧夏平原の農業地帯をはずれると、南は黄土高原につながる砂漠地帯である。
平成6年(1994)1月20日から現地調査・交渉などの用件をすませ、自治区林務局の案内で西夏時代の貴重な遺跡などを訪れる機会に恵まれた。緯度はほぼ北九州と同じであるが、大陸奥地のため冬はマイナス10度以下になる。私の関心事である西夏文字についてはほとんどなにも聞けなかったが、西夏王の陵墓群や賀蘭山の岩絵を丁寧に案内してもらった。いずれも観光客はまだ少ないが近年人気が出ているとのことだった。
2006年6月 小林 富士雄