2007年4月4日
小林 富士雄
今年の桜は偶々、東京、京都、信州の三カ所で花の盛りに出会いました。気象庁の開花情報は例年より大幅に早く3月18日とされ、これに合わせて花見宴を計画した向きも多かったようですが、ぶり返した寒さのため遅れに遅れ、結局東京では、例年に近い3月31日あたりが満開となりました。
東京の花見は山林会近くの、スペイン坂や、その名も桜坂という街路の散策で手軽に済ませましたが、もう一つ予定外の青山墓地の桜に出会うことになりました。これは青山墓地を管理する東京都公園緑地部が設置した、青山霊園外人墓地の顕彰碑披露の除幕式典に招待されたためです。何故私がというと、話は長くなるので端折っていうと、日本近代林学の祖である松野礀氏がドイツ出身のクララ夫人によっ外人墓地の一画に葬られており、我ら林学徒がその墓を維持してきたという縁によるものです。
式典が行われた4月4日の桜は満開をすぎ、近代日本の建設に尽力した方々を讃える、石原知事の揮毫になる丸形の顕彰碑には花びらが舞い落ちていました。
そのあと12日から3日間にわたって、京都各地の桜にまみえることになりました。国際森林研究機関連合(IUFRO)のウイーン事務局の責任者を勤めてきた旧友の依頼で、彼の孫娘の日本滞在の面倒をみることになり、私の提案で京都旅行になったという次第です。ウイーンから来る17歳の高校生のもつ関心事となると皆目想像もできず、中一日は昔の職場の縁をたよって同年配程度の女学生にお相手を依頼しました。
もう桜には遅いと思って入った京都は、タクシーで川端通りから岡崎の宿に至るまで爛漫の桜で出迎えてくれました。祇園歌舞練場の都おどりのフィナーレーも絢爛たる桜一色です。通称哲学の道の桜並木、南禅寺の南大門に登って見下ろす松のなかに映える桜、清水寺の舞台下の池の端に吹き寄せられ厚く積もった花びらの絨毯、祇園白川沿いのなまめかしい夜桜などなど。八坂のしだれ桜は久し振りでしたが、いくつも切られた枝が痛々しく、また花の盛りが過ぎたせいか、なにか老妓の姿を思わせました。20数年前までの京都在勤時には来る春ごと繰り返し感嘆した、あの咲き誇る往時のしだれ桜はもう帰ってこないのでしょうか。
私は十数年にわたって京都に暮らし、桜の季節になると落ち着かず連日東山、洛中、洛西と歩きまわりました。京都の桜のいくつかは物語と歴史を背負っており、それが人を物狂いにさせるのでしょうか。ところでウイーンの少女は京都の桜になにを思ったでしょうか。
最後は郷里信州の桜です。京都から戻った翌日生家に寄り、その足で千曲川沿いの堤防を行けば桜一色です。小学校の同級会に集まる烏帽子岳山麓の宿は標高1,000メートル近いせいか桜には早く、まだ淋しいカラマツ林のあちこちにみるマンサクの黄色だけでした。帰りには満開だという上田城の桜に誘われましたが、辞退して上田駅にむかいました。花疲れの気もありましたが、亡母と歩いた城跡の桜の想い出に不覚をとりそうな気がしたからに他なりません。
2007年4月 小林 富士雄