2008年11月30日
大貫 仁人
大日本山林会の恒例行事である「現地研修旅行」が平成20年10月29日~31日に行われ、34名の方々に参加して頂き、実りある成果を挙げて無事終了しました。
奈良県農林水産部、吉野林材振興協議会、清光林業(株)、奈良県吉野町・川上村、三重県環境森林部、近畿中国管理局三重森林管理署、神宮司庁営林部、(財)伊勢神宮崇敬会の皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。
三重大学名誉教授の笠原六郎先生には二日目の勉強会でのコメンテータ・話題提供者として活躍して頂きました。御礼を申し上げます。
研修旅行は下記の行程の通り順調に進みました。スケジュールに従ってご報告します。
(第1日目:10月29日)
集合時間までに全員が揃い大型バスに乗り込み予定どおり出発。会員34名(北海道、青森、山形、栃木、群馬、千葉、東京、神奈川、静岡、愛知、三重、京都、兵庫、鳥取、岡山、山口、愛媛、香川、高知)、山林会5名、そして、奈良県農林部林政課の室垣内課長補佐の総勢40名で、いよいよ研修旅行がはじまった。
樹々が色づきはじめた吉野路を一路、最初の現地研修地の吉野林業の中心地川上村へ向かう。時間的にタイトであるため車中で弁当による昼食をとる。車内では、食事をとりながら、会長から参加のお礼、研修の目的・意義・期待、研修会の歴史等に関する挨拶や事務局からスケジュール等の説明が行われた。会長の挨拶の中で
「今日これから行く、「吉野地方」は、我が国で最も早く人工造林による林業が確立した地域(世界的にも極めて早い時期に発達した林業地帯、西暦1500年頃から)であり、「密植・多間伐・長伐期」という吉野独特の育林方法を確立し、また、300年も続く特有の「山守制度」によって山林経営・森林管理を今でも行っています。そして、生産される大径材や磨丸太によって城郭・神社仏閣をはじめいろいろな日本特有の「木の文化」をつくってきた古い歴史を持っています。3日目の研修地である「伊勢神宮」(正式には「神宮」が正しい)ですが、この神宮には古来より「式年遷宮」という制度があり、約1300年前から行われています。これは日本古来の「木の文化」の源流そのものです。式年遷宮のための御造営用材林の育成が、「御杣山(みそまやま)の全面復活」という目標のもとで、現在「宮域林」において、大正12年に策定された「神宮森林経営計画」に基づいて粛々と進められており、既に2,400ha以上のヒノキ人工林が育成されているということです。200年の長伐期で胸高直径1m以上の大径材生産を目指すという遠大な森林経営計画が進行中です。ところで、この「神宮森林経営計画」の策定では、当時の林学の権威者の本多静六先生や川瀬善太郎先生が計画づくりに関わったと云うことです。川瀬先生は当時、第7代の大日本山林会会長(大正9年1月~昭和7年8月)でありました」との「長伐期林業と日本文化の源流を訪ねて」という副題をつけた理由の説明があった。
バスは、国道169号線を一路南下、芦原トンネルを通っていよいよ吉野川流域に入る。吉野川に突き当たると東方に向きを変え、吉野川に沿って走り、吉野町を過ぎ、五社トンネルをぬけ、いよいよ川上村へ。
突然、前方吉野川の対岸に「土倉翁造林頌徳記念」と白い文字で刻まれた鎧掛岩が出現した。一文字の大きさは2m四方、刻字の深さ36cmとのこと。土倉庄三郎は、吉野林業の中興の祖といわれ、「吉野林業全書」を出版し、「土倉式造林法」を確立し吉野式造林技術を全国各地に広めると共に、自らも植林事業を進めたとのこと。また、筏師の生命の危険減少・筏流送の能率向上の為、吉野川の改修を行ったり、道路の開設・改修(現在の国道169号他多数)を行たという。さらに、私費により小学校(川上村大滝・西河)を開校し村内の子供の教育を進め、明治初期、自由民権運動に資金を援助し政治にも多額の献金を納め社会的にも有名な人であった。1900年当時の首相(山縣有朋)から還暦祝として「樹喜王の称号」を送られたとのことである。進行方向道路の右側、旧土倉邸跡に土倉翁の銅像が建っていた。
そこを過ぎ、前方左手に大滝ダムと貯水のないダム湖が現れた。貯水のない理由は、平成15年4月、試験湛水中にダム周辺地区で地面に亀裂が発生しているのが見つかり、試験湛水を中断し、現在、本格的対策工事が実施中によるためとか。ダムの完成は大きく遅れることになったという。
大滝トンネルを過ぎると川上村の中心地に辿り着く。村役場、郵便局、銀行、総合センター、道の駅、「森と水の源流館」、村営のホテル杉の宿(一日目の宿泊地)などが道路の両側に集落を形成していた。ダム建設による移転に伴って平成2年に新しい村の官庁街が誕生したのだそうである。ここでトイレ休憩し、いよいよ第一日目の研修地の清光林業(株)(社長:岡橋清元氏)所有山林へ向かう。
(報告(2)へつづく)
平成20年11月 会長 大貫仁人