2008年12月14日
大貫 仁人
2日目の勉強会の会場には、今回の研修会のコーディネータをお願いしていた三重大学名誉教授の笠原六郎先生が待機していて下さった。早速、先生のコーディネータのもとで下記の勉強会が開かれた。
内容は、①「近畿森林管理局・三重森林管理署館内の概要」(三重森林管理署次長・大野巧氏)、②「三重県森林・林業・木材産業の概要」(三重県環境森林部林業振興特命監・市川道徳氏、③神宮宮域林の概要」(神宮司庁営林部部長・金田憲明氏)、④「松阪のあれこれ」(三重大学名誉教授・笠原六郎先生)
③の金田部長のお話しは、カラフルなパワーポイントを使った「式年遷宮と宮域林の森林づくり~第62回神宮式年遷宮を迎えて~」についてであった。概要は次の通りであった。
○「式年遷宮」とは20年に一度、社殿を造替(2正宮・14別宮)し、殿内に奉納する装束・神宝も全て新調して、新宮に大御神のお遷りを仰ぐ、神宮最高の厳儀である。第41代持統天皇4年(690年)に第1回齊行があり、戦国時代一時中断(約120年間)し、来る平成25年に第62回の遷宮が齊行される。
○「御杣山(みそまやま)」:神宮を囲む宮域林は当初から遷宮に用いるご用材を伐り出す山(御杣山)であった。約600年(鎌倉中期まで)続いたが、適材が欠乏し、近隣諸国に、さらに、江戸中期からは木曽山(長野・岐阜県)に移り現在に至っている。
○第62回遷宮に向けて御杣始祭(みそまはじめさい)(H17.6.3)や御樋代木奉曳式(みひしろき・ほうえいしき)(内宮川曳H17.6.9、外宮陸曳H17.6.10)も既に済み、御用材の準備が整いつつあり、平成20年4月には地鎮祭も執り行われ、あと15のお祭りが済むと遷宮の齊行となる。
○宮域林でのヒノキ育成:御用材のヒノキ材は木曽山の天然ヒノキが資源的に減少しており、宮域林での育成が必要となっている。そのため大正12年に策定された「神宮森林経営計画」(報告(1)参照)に基づいてヒノキ林の造成と受光伐方式(報告(6)参照)での肥大成長促進施業を行っている。今度の第62回式年遷宮に必要なヒノキ材の2割程度を、宮域林産ヒノキ材で賄えることになった。このことは鎌倉中期以来約700年振りの快挙である。今後遷宮の回を重ねる毎に自給率を向上し、将来は100%自給(御杣山復活)を目指している。
○神宮宮域林(神宮が所有している森林)は面積5,446haで、五十鈴川の水源の神路山(かみじやま)(神路川流域)と島路山(しまじやま)(島路川流域)、宮川流域の前山からなる。第一宮域林(1,094ha)は、内宮神域の周囲、宇治橋付近や宮川以東の鉄道沿線より望見できる森林で原則として生木の伐採禁止、第二宮域林は、第一宮域林以外の森林で、御造営用材生産は、この第二宮域林内の普通施業地(2,901ha)内のヒノキ人工林約2,258haにおいて行っている。
宮域林は伊勢市の1/4を占める面積で、かっては降雨250mmで洪水被害が出たが森林が成長してきているので最近は降雨500mmでも被害がないとのこと。
○金田部長のお話の締めくくりにおいて、大日本山林会が戦後行った宮域林における「造林・育林奉仕活動」(報告(4)参照)に触れて頂き、感謝の言葉が示されたことは我々にとって大きな喜びでした。
④の笠原先生のお話の概要
「松阪のあれこれ」:松阪は伊勢平野の南端、櫛田川の左岸に位置し、参宮、和歌山、熊野の3街道が落ち合う土地であるため宿場町として、天正年間に蒲生氏郷が築いた松阪城の城下町として栄えた。貨幣経済が早くから浸透し、松阪木綿の産地、伊勢商人の本拠地、本居宣長の生地として知られ、近年は松坂牛で有名である。との説明の後、伊勢商人のこと、本居宣長のこと、松阪牛の肥育のことが言及された。そして、櫛田川流域の育成林業のこと、松阪の製材業と木材流通の歴史(明治から現在)が簡潔に説明された。特に、戦後の押し角(バタ角)生産(いわゆる“松阪の空気挽き”)で松阪の製材業が大きくなった話は参加者の笑いを誘いました。参考として「わが国における森林開発の歴史」について、古代(~1191)の略奪、中世(1192~1567)の採種林業、近世(1568~1867)の略奪、育成林業の芽生え、近代(1867~1945)の造林推進政策・戦時強制伐採、現在(1946~)復旧・拡大造林、国際競争力喪失、現在(2008)自給率反転といった項目での簡潔な説明は迫力のあるものでした。最後の項について、大規模な加工施設による国産材利用拡大の動きは木材自給率を押し上げているが、1万円/m3前後の原木価格を前提に設計されていることから、これでは森林所有者による資源再生は不可能であり、国産材復活が一層の森林破壊を招くのではないかと憂慮されると述べ、対策としては、森林の公益的機能に地球温暖化防止機能を加え、これに対する公的資金の投入が期待されるが、そのためには税を負担する国民の納得が得られるような森林の所有・経営形態を創造する必要がある。と結ばれました。
2日目の勉強会も充実したもので時間が足りない状況で、この勉強会の余韻は、講師の皆さんを囲んでの懇親会へ持ち越され楽しい宴となり2日目が終わりました。
平成20年12月 会長 大貫仁人