2014年10月16日
箕輪 光博
算数の嫌いな人は多いが、そのような人に対して、表題の疑問:マイナス×マイナスはなぜプラスになるのかという質問をしたりすると、ますます嫌な顔をされかねない。昔、この質問に対して、借金×借金=資産と応えた偉い学者がいたときく。たしかに、世には、次々と借金をして、それを資産化しているように見える企業が存在している。だいたい「借金もろくにできないような奴は、大した仕事はできない」とうそぶく人もいる。他方、算数の得意な人は、この関係を論理的に説明しようとする。しかし、どのように説明されようが直感的には理解しにくいという人が多いであろう。そこで、この関係を意識することが有意義である場合を取り上げ、その効用を考えてみたい。なお、以下、マイナスをM、プラスをPで著すことにする。
さて、「M」の解釈次第では、なんとなく、なるほどと思えるケースも多々あるような気がする。たとえば、“失敗は成功のもと”という諺は典型的な例である。これは、失敗をM、その後の努力をもう一つのM(失敗していなければ必要でなかった余計な労苦という意味で)とすれば、この場合はまさしくM×M=P(成功)であろう。たしかに、人生はこのようなケースが多いかもしれない。
もう一つの例。林野庁は、戦後多額の借金(M)を負い、それを返済するために身を切る思いの様々な努力(M)を重ねてきたことは周知の通りであり、現在も借金返済への責務が存在している。林野庁が少しでも早く、M×M=P(借金返済)の日を迎え、これまでの労苦が未来の財産となることを切に願わざるを得ない。
次の例は小生の趣味(囲碁)のケース。「無理が通れば道理が引っ込む」ということわざがある。これは、「無理」は本来道理に適っていないという意味でマイナスの概念であり、また、それを強引に通すという力の行使自体も道理から見て(通される側からみても)マイナスである。この二つのマイナスを合体させて上手(うわて)が下手(したて)をいじめて勝利を得るというのが、囲碁におけるいわゆる「下手いじめ」である。換言すれば、上手は、意識的に無理な手を繰り出す。それを下手が受け間違うことにより、上手に望外の利益がもたらされる。これは、まさしく、M×M=Pのケースである。しかし、この無理を、逆に、下手が、対等もしくは上級の相手に仕掛けたら、その結末は推して知るべしである。
ところで、2011年の原発事故に対して、本会の機関誌『山林』の巻頭言において、小生は、原子力の世界という閉じた空間がもたらした悲劇であるという意味のことを言ったことがある。それには、言外に、原発関係者はその道の専門家:上手であり、これに対して住民や市民は、知識も、技術も、そして経験も何一つ持たない下手であるというもう一つの意味が込められていた。そこには、上手(原発側)がリスクのある手を打ち(M)、それを受ける現場の市町村側が大局的な判断を怠り(M)、その結果として、M×M=Pが成立するような常識がつきまとっている。しかし、3.11の想定外(!)の事故は、M×Mがプラスではなく、マイナスに転ずることがありうることをはっきりと示した。そして、その被害(社会的費用・精神的苦痛…)をさらにMと考えると、このMをPに変えるには長年にわたるあらゆる努力(政治、経済、科学技術、…にわたる)が必要である。この後から発生した個人や社会に関わる労苦の一切をMとするならば、この間の復興作業は当然のことながらM×M=Pであることを前提としていることになる。しかし、現実は、3年半を経ても、復興はいっこうに進んでいない。それどころか、これから発生する廃炉作業、それにかかる膨大な費用を考えると、とてもM×Mがプラスになるとは思われない。
ということで、マイナス×マイナス=プラスは、算数の世界の出来事であり、現実の世界にあっては、それ以上の意味も、以下の意味を持たないというのが今回の結論である。
2014年10月 箕輪 光博