2015年1月9日
箕輪 光博
明けましておめでとうございます。本年は、秋篠宮殿下を総裁に迎えての新紀元の年です。御支援のほどよろしくお願い致します。
さて、本年は戦後70年という節目の年。鹿島灘から東京へ向かうB29が頭の上を低空飛行で飛んでいく。そのたびに、竹山の防空壕にもぐり込む。おんな子どもたちは竹槍で戦うのだという構え。筆者は、当時、3歳ちょっと。まだ幼かったが、これらの風景が目に焼き付いています。そして、8月15日、まぶしいくらいの快晴の真昼、村人が茂兵衛さんの家に集まっていました。私も、田んぼのあぜ道をつたって合流。玉音放送を聞きました。
その後、わが国は、戦後の復興から始まって、まっしぐらに経済成長の道を突き進み、オイルショック、バブル崩壊、失われた20年などを経て、今、アベノミクスと向かい合っているわけです。平成生まれの若者たちにとって、第二次世界大戦、広島・長崎の原爆などは、実感の湧かない昔のことでしかないのかもしれません。確かに、若い頃の筆者も、70年前の明治維新初期、続く日清・日露戦争などはとうの昔のことと感じていました。文明開化、富国強兵、度重なる戦争を実感できるようなったのは随分と後のことです。
それはともかくとして、私たちは、そのような2回にわたる大冒険(!)を経て、現在、人口減少・縮小社会の入り口に立っています。目の前には、東日本大震災からの復興、福島原発の廃炉作業、経済・福祉・医療・教育等の立て直し、山村の再生、国際的緊張の緩和、などの複雑な政治課題が目白押しに並んでいます。
他方、林業界に目を向けると、昨年は、林業基本法成立50周年という節目の年で、戦後の林政を振り返る動きがいくつか見られました。たとえば、本会は、昨年の3月に、「これからの林業政策を問う―林業基本法制定50年を振り返って」というタイトルのシンポジウムを開催しています。また、機関誌『山林』はそれに関連する論稿、たとえば、藤澤秀夫氏の「私有林林業の構造改善施策50年を振り返って」を3回にわたって掲載いたしました。氏はその中で、私有林林業の活性化の一つの道筋として「団地法人経営」を推奨されています。また一方で、伝統的な林業の流れを引き継ぐ自伐林業が脚光を浴びた年でもありました。喫緊の課題は、成熟期を迎えた川上側の森林資源を川下側の多様な木材利用にどのように結びつけるか、そしてこの需給マッチングを担う制度と技術、人材資源をいかに培養するかです。その意味では、昨年秋の全森連・全木連の協働宣言、近年の中間土場の称揚、森林空間情報の活用、施業プランナーの育成などは大変時宜に適った試みと言えるでしょう。
今年はまた、山村振興法が制定されてからちょうど50年に当たります。現在、法の改正作業がおこなわれていると聞きますが、こちらの50年の方が社会的にはより影響力が大きく、これからのわが国のあり方を考える上で大きな政治課題です。かつて、林業基本が制定された時代には、林業の発展が山村の発展につながるという「予定調和」的考え方がありました。今でもその基本精神は生きていると思います。実際、政府は、「林業の再生なくして地方創生なし」と主張しております。その際に大切なことは、農業の成長産業化、林業の成長産業化をどのような視点から捉えるのか、従来のようなGDP成長、収益率向上のような単元的方向ではなく、産業資本と社会的共通資本が一体となった本当の意味での多元的「六次産業」化を目指すことです。
最後に一言。本会は、本年、1月21日をもって133年目を迎えました。戦前の70年、戦後の70年を見てきたわけですから、これは本当に凄いことです。そのことの一つは、初代の会長(幹事長)が品川弥二郎大先達であることに端的に見られます。氏は、長州藩士で、吉田松陰・松下村塾の塾生として知られており、数年前、全国植樹祭で山口県の萩市を訪れた際に屋敷跡に立ち寄ったことがあります。現在、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で、松陰大先生の妹「文」を主人公に当時の松下村塾の様子が描かれていますが、品川弥二郎青年が出てくる場面を楽しみにしています。本会は、本年、「三会堂ビル」の建て替え時期を迎えて、これからの10年をどのように乗り切るかという大変な難題に逢着しています。ここで、大事なことは、普及・啓発を通しての「民間林業の振興」という志を再確認し、一般財団法人農林水産奨励会を軸に、大日本農会、大日本水産会と共に、農林漁業の持続的な発展に職員一丸となって向かっていくことです。会員諸兄、関連団体の御支援・ご鞭撻をお願いしつつ、あらためて新年のご挨拶とさせて頂きます。
(追記)
次の画は、若き日の渡辺崋山(田原藩士・画家、1793年生まれ)と養子に出される弟との別れの場面。
2015年1月 箕輪 光博