2015年5月27日
箕輪 光博
新緑がますますまぶしく映り、ナツツバキ、ヒメシャラ、ヤマボウシなどがかわいらしい姿をみせるこの頃は、小生の最も好きな季節です。全くの偶然ですが、小生は、本会が還暦を迎えた1942年に東京の下町で生を受けました。誕生時の体重は、1,500g以下で、ベテランの産婆さんは、この子は駄目と断じたそうです。しかし、5月25日という天与の誕生季節に恵まれ、このたび、誕生日の翌日、5月26日に、4年間の会長責務をかろうじて全うすることが出来ました。これも、ひとえに、会員諸兄、役員、職員の皆様のお蔭と衷心から謝意を表する次第です。
さて、東日本大震災の年(2011年、6月)、田中潔副会長(常勤)、梶谷・田中両副会長(非常勤)、工藤常務の協力の下で、新体制はスタートしました。その前年の2010年10月、本会は公益社団法人に認定され、4つの公益事業と1つの収益事業を柱に新たな道を歩み始めたばかりでした。そこで、小生は、就任の挨拶で、公益法人にふさわしい「開かれた山林会」をめざすのだと高言いたしました。しかしながら、東日本大震災やそれに伴う福島原発事故のショックは大きく、しばらくは何も手がつかないような状況が長く続きました。特に、原発事故に関しては、その原因と引き起こされたその後の災禍を思うと、いかなる言葉も虚しく聞こえ、しばらくはただ立ち尽くすだけでした。やっと、翌年の新年の年頭所感で(山林誌)、原発事故の根本原因は、その業界全体が、自己増殖的な閉鎖性にあるということを指摘するのが精一杯でした。
まずは、開かれた山林会を目指して、130周年記念イベントとして、3回にわたる「なでしこ」シンポジウムを開催いたしました。おかげさまで、基調講演・コーディネーターの先生方、パネラーの方々、多数の皆さまのご支援の下に、成功裡に進行することができました。その成果は、『森林の世界に出かけよう―「なでしこ」からのメッセージ―』という1冊の本に結晶しています。どちらかといえば、古い体質を有するといわれる林業界の中に、「なでしこ」の方々の新しい息吹の存在を示したものとして、また女性参画社会の1つの姿を提示したものとして、今回の企画は時宜に適ったものである自負しているところです。
今日、本会が収益事業をベースに、4つの公益事業を持続的、計画的に展開できるのは、先達の努力に負うところが大ですが、それ以上に大きな力となっているのは、機関誌『山林』の発行や各種委員会の遂行などに多大の協力をいただいている諸先生方、他機関の方々のご支援です。特に、全国林業経営推奨行事や創意工夫行事の遂行には多くの方々の協力を必要としていますが、毎年、痛感させられるのは、それらの事業の認知度が予想以上に低いことです。その根本原因は、本会自体の認知度の低さにあると考えられるので、これからは、職員、役員(理事、監事・参与)、会員一丸となって、世間に向かってより積極的に発信、行動していく姿勢が不可欠です。ここに、公益法人としての真の責務があると思われます。
昨年の6月8日、前総 裁桂宮殿下が薨去されました。殿下には、30年ちかくにわたって本会の発展に多くのご貢献を頂きました。ここに、あらためて、謝意とともに、哀悼の意を表します。そして、10月10日には、新総裁として、秋篠宮殿下にご推戴を頂き、新たな道を踏み出すことになりました。殿下には、早速、11月の推奨行事の表彰式にご台臨を賜り、受賞者の方々と親しくご歓談を頂きました。主催者・参加者にとって、記念すべき日となりました。これを契機に、「開かれた山林会」、「知名度の高い山林会」を目指して一層の努力をする責務を痛感しているところです。
他方、林業界は、依然として厳しい状況にありますが、人工林資源の成熟期を迎えて、100年の計を念頭におきながら、本会も、林家や参与の方々と一体となって持続的な森林経営に向けて、森林・林業の大切さに対する認識を深め、技術と意欲の向上に努めていく必要があります。
最後に一言。これからの4、5年は、定常の業務に加えて、三会堂ビルの建て替え問題が本会の付帯業務として大きな比重を占めると思われます。本会、大日本農会、大日本水産会、農林水産奨励会(三会堂ビルの管理運営主体)が一体となって、バランスのとれた収益事業と公益事業を展開することが中長期の最大の課題です。小生も、これからは、一理事として微力ながら支援させていただきます。繰り返しになりますが、長い間お世話になりました諸先輩、職員、役員の方々に御礼を申し上げるとともに、これからの本会及び職員の方々の一層のご発展・ご健勝を祈念いたします。
2015年5月 箕輪 光博