幸田文さんのこと

2006年9月26日
小林 富士雄

 お会いしたのはたった一回きりなのに幸田文さんのことは今も心に残っています。京都伏見にある林業試験場支場にいたころ、旧友の営林署長に誘われ京都向日町の竹林でお会いしました。幸田さんの希望は竹林の落ち葉を見たいということでした。幸田露伴の娘さんということ以上に、落ち葉だけのために東京からわざわざ見えるということに惹かれ、いそいそと出かけたのです。
 幸田さんは和服姿で中年に近い女性と一緒にみえました。着物には無知な私にも上質な紬織りと分かる和服を着こなす立ち姿にハッとしましたが、丁寧に礼を言われ次いで見たいものを説明されるにつれ率直な人柄に好意をもちました。私の勘違いで、幸田さんの見たいものは落ち葉でなく、竹林の落葉(らくよう)でありました。さらさらと落ちる竹の葉のことを人づてに聞いたとかで、これを目にし耳にしたいということでした。
 竹林の昆虫の研究していた若いころ、落葉で竹林の葉が入れ替わるのを何度か経験しました。旧葉が一斉に落ちるさまを思い出しての私の話に幸田さんは頷いていましたが、時期がやや早すぎたため、せっかくのご希望は果たせずとなりました。それでも竹林にかなり足を踏み入れ、じっと目をつむり葉の落ちる音を聞こうとしているかの様子でした。

 そのご幸田文さんのことが心にかかり代表作「流れる」を読み、芸者置屋での住込み女中など世の辛酸も体験した方で、また多くの随筆から日常生活の細部にまでいたる鋭い美的感覚の持ち主であることを知り、京都の竹林で受けたきりっとした幸田さんの姿かたちに納得したことです。
 幸田文さんは平成2年に86歳で亡くなりましたが、丸善季刊誌「学鐙」に書いた樹木に関わる随筆をまとめた「木」が平成4年に新潮社から刊行され、この本を読んで、幸田さんの草木によせる思いが並々ならぬものであることを知ったような気がしました。
 「えぞ松の更新」という文章では東大北海道演習林で色々な段階の倒木更新をみたことが書かれています。倒木更新とは、倒れた老木上にトウヒやヒノキの稚樹が並んで発生し、これで森林が自然に生まれ変わり循環することです。幸田さんの文章は、倒木上の稚樹に触れるばかりでなく、腐った倒木の中に手をさし入れたりして、その感触をつづった名文です。

 先ず倒木の上の1尺ばかりの若木をゆすってみると、

・・・幹は柔軟に手に従うが、根は意外な固さで固定している。細根は倒木の亡骸(ぼうがい)の内側へ入って、皮肉の間へこまかい網を張っているし、やや太い根は外側を巻いて這い、早く地に達したいとしている構えである」。倒木へも手をおいてみると「木の肌の上は苔の衣で万遍なく厚く被われてある。自然の着せた屍衣(しい)という感じ・・・

 苔をおしのけてみると、苔の下はぐしょぐしょに濡れている。粉状になった樹皮を掻き分けるとややかたいが、爪をたてると縦方向、つまり根元から梢に向けてむしれ、

・・・指の間のそれは殆ど崩れて、木片とはいえぬボロでしかなかったが、いとしさ限りないものであった・・・

 そして更に、風倒木の根株の上に何本もの太い根をおろして、たくましく立っている一本の高木について、

・・・今はこの古株を大切にし、いとおしんで、我が腹のもとに守っているような形である。たとえその何百年か以前には、容赦もなく古株をさいなんで、自分の養分にしたろうが、年を経たいまはこの木ある故に、古株は残っていた。ついいましがた、生死輪廻の生々しい継をみて、なにか後味さびしく掻き乱されていた胸が、この木をみて清水(しみず)をのんだようにさわやかになった・・・

 そしてこの木の太根の間に赤褐色の色がちらりとみえたので、そっと手を入れてみると、ごくわずかなぬくみがあり、森林全体が濡れているというのに、そこだけが乾いていることに驚き、

・・・指先が濡れて冷えてていたからこそ、逆に敏感に有りやなしやのぬくみと、確かな古木の乾きをとらえたものだったろうか。温い手だったら知り得ないぬくみだったとおもう。古木が温度を持つのか、新樹が寒気をさえぎるのか。この古い木、これはただ死んじゃいないんだ。この新しい木、これもただ生きているんじゃないんだ。生死の継目、輪廻の無惨をみたって、なにもそうこだわることはない。あれもほんのいっ時のこと、そのあとこのぬくみがもたらせるのなら、ああそこをうっかり見落とさなくて、なんと仕合わせだったことか。このぬくみは自分の先行き一生のぬくみとして信じよう、ときめる気になったら、感傷的にされて目がぬれた。木というものは、こんなふうに情感をもって生きているものなのだ・・・

と、いのちの愛おしさに涙しています。

 この文章はもちろん倒木更新の報告ではありません。生と死をめぐる深い考察です。生きることの意味を倒木更新からみつけた、幸田さんにとっても記念すべき体験だったと思います。竹の落葉に遇いたくてわざわざ京都にまで来た幸田さんの気持ちが偲ばれることでした。

 (蛇足)幸田文さんに倒木更新の話題を提供したのは、大学同期の西口親雄氏ではないかと思います。西口氏は東大北海道演習林に長い間勤務しておりましたし、なにかの折りに、幸田文さんが倒木更新に並々ならぬ関心を示したと言っていたことを憶えています。

2006年9月 小林 富士雄