「見えざる手」に導かれて ―山林会を辞するにあたって―

2007年5月30日
小林 富士雄

 「見えざる手」というのはアダム・スミス「国富論」のなかにある有名な言葉で、ここで使われている意味は、自由な経済活動を行えば「見えざる手」に導かれて経済的均衡が実現されるということだそうです。

 私は5月25日の大日本山林会総会で会長職を辞することになりました。私ごときが伝統ある山林会の会長職を汚すようになるとは思いもよらぬことで、今の自分の気持ちをピッタリ表すには、アダムスミスの意図とはおよそ離れていますが、まさに「見えざる手」に導かれてここまできたという他に言いようがありません。

 私は森林病虫害専門の研究者であったため、林業界の一方の雄である大日本山林会は、『山林』の原稿執筆を通じて多少の接触があったとはいえ、遙かに仰ぎ見る遠い存在でした。ただ、関心が専門分野から次第に日本林業の近代化などの歴史分野に拡がってきたため、長い歴史を伝えていくという役割を担っている山林会に好感を抱いていたことも確かです。従って『山林』の編集委員長の打診あった時は意外ながらも勇んでお受けし、3年半のあいだ非常勤でありながら必要以上にこの仕事に入れこんで当時の編集職員を辟易させたように思います。

 編集を通じ山林会の会員と接点ができて、少しずつ目が開かれる思いを経験しました。とくに常勤の副会長・会長となり、3代またはそれ以上続く山持ち会員が少なくないことを知り、また山持ちでなくても山林の熱心な読者が多いことを知りました。この方々から日林業経営に関する生の声を聞き、また現場を経験させてもらうにつれ、一歩一歩まさに「見えざる手」に引き寄せられました。そして10年もの長いあいだ、伝統ある山林会の歴史づくりに参加しているという充実感で楽しく過ごしました。

 会長になってから始めたこのシリーズの1号には「会員あっての山林会」と書きましたが、36号を書き始めて漸くおもいあたったのは、まさに会員の「見えざる手」に導かれてきたということです。長いあいだ充実した毎日を気持ちよく送れたのは熱心な会員皆様のお陰です。改めて御礼申し上げます。

 会員の皆さん。これからは大貫会長、箕輪副会長とさらに強い絆を結んで下さるようお願いいたします。なお私は総会で名誉会長に推挙頂きましたので、山林会会員の皆様とのご縁が切れるわけではありません。誌上またはネット上でもお会いしたいと思っております。

2007年5月 小林 富士雄