2003年9月10日
小林 富士雄
古い話だが昭和40年代半ばに読んだ「日本人とユダヤ人」という本から受けた印象はいまも鮮明である。イザヤ・ペンダサンというユダヤ系の著者があまりに日本人の本音に迫っているため、これは翻訳者の山本七平氏が書いたものではないかと取り沙汰されたことでも有名になり、当時のベストセラーにもなった。
日本人は「神よりも先ず人間」という「日本教」という強烈な宗教を意識下にもっているというのがこの本の主題である。この主題と別に、ユダヤ人にとって「全員一致の決議は無効であるのは何故か」とか、「日本人は安全と水はタダで手に入ると考えている」とイスラエルの外交官が言ったという言葉が脳裏に残った。
安全と水の件は、当時は適確な指摘であったため、なるほどと感心したが、このうち水については、日本でも暫くすると紙パック入りの水が店頭に現れあれよあれよという間にどの家庭にも常備されるようになり、安全については、日中でも強盗や殺傷は日常化し警報装置が家庭にも普及するようになってしまった。もはや安全と水はタダだと言ったら笑われるのがおちだ。これがたかだか2、30年の間の変化である。安全と水がタダであった幸せの時代はもはや取り戻すべくもない。
まえおきが長くなったが、今回の主題は水にかかる問題である。今年5月私は森林先端協の機関誌APASTの巻頭言に「輸入木材をめぐる視点」を載せた。その要旨は次の通りであるが、全文は藤原敬氏の依頼により氏のHPに掲載されている。
近頃「日本は水を大量輸入」というような新聞記事が出るようになった(朝日新聞2002/10/11)。これによると1kgの食糧生産に必要な水の量は、たとえば大豆(3,400リットル)、米(5,100)、豚肉(1,100)、牛肉(100,000)であり、これをもとに計算すると日本の輸入食糧は年間約1,000億m3の水消費となり、これは直接的な水使用量とほぼ同量になるという(この数字は最近原著研究者沖大幹氏のHP上で約600億m3と修正された。)。この水は仮想水(バーチャル・ウオーター)であって、水そのものを輸入している訳ではないが、地球上の水循環に影響を及ぼしている。 ところで、樹木は生存と生長のために膨大な水を吸収し、その95%は葉から蒸散するので、(参考:太田猛彦氏によると「森林は水の消費者であり森林の水源涵養機能には限界がある」
山林2003/7)、輸入木材の仮想水は膨大な量になろう。日本は幸いモンスーンの豊かな降水を享受しているが、雨の少ない地域からの木材輸入は水を収奪していることになる。
我が国の人工林蓄積から試算すると、少なくとも年間生長量だけで自給率6割は達成できる。理想的な環境材料である木材がその大半を輸入に頼っており、その一方で国内の造林地の多くが放置され、間伐も切り捨てが日常化している現状は循環型システムとはほど遠いといわなければならない。地球環境の視点から木材輸入は環境輸入であり、この点からも国産材の利用を促進すべきと考えるがいかがであろうか。
2003年9月 小林 富士雄