2009年12月25日
大貫 仁人
(1日目つづき)
15:30頃予定通り、常陸国一の宮である鹿島神宮に到着。一行は、大鳥居、楼門を通って社務所に向かう。そこで神宮参拝係の小林さんからの挨拶を受け、先ず本宮本殿裏の杉の大木・御神木に案内されました。樹齢推定千二百年、胸高周囲10m、高さ43mの大樹である。本殿の裏の神域内に鎮座していて側によることは出来ない。この御神木は、鹿島神宮樹叢に生育する約三百本の巨樹・巨木(胸高直径1m以上のもの)の中で群を抜いて高く太いもので、北条時鄰著「鹿島志」(1823年(文政6年)発行)にいう「厳の鉾杉」であるとのこと。一般参拝客はここまで入れないので、参道から仰ぎ見るだけで、その高さ、太さは、楼門の付近にある次郎杉(御神木に次いで高樹齢の杉、樹齢約700年、樹高40m、胸高周囲6m)から実感してもらっているとのこと。鹿島神宮境内には約200本の杉の巨樹(胸高直径1m以上)があるそうです。
陽が大きく傾く頃、茨城県指定の天然記念物である樹叢に案内して頂きました。樹叢の中心をなすのが、椎、椨(たぶ)、杉、檜などの巨樹群で、広大な樹叢には600種以上の植物が生育し神厳さを維持しているとのこと。原則禁伐で、昭和53~54年の松くい虫被害で松が全滅し、その後、ハラアケマイマイガによる被害が激しかったとのことです。樹叢散策を奨励し、そのためにも多くの人たちの協力による境域整備に努めているとのこと。前記の近藤さんの資料にあるとおり珍しい樹木が数多く自生し、もっと良い時季にもっと時間をとってゆっくりと散策しいたいとの思いを強くしました。樹叢は一般市民に開放され、作業道や散策道は徒歩や自転車による通勤路、通学路、散歩道に使われてもいました。薄暮が迫る中、散策道を急ぎ、大鯰(大地震)の頭を押さえている「要石」へ、そして、古来から禊(みそぎ)の斎場である「御手洗池」や奈良・春日神社と関係がある「鹿園」を足早に見学し社務所に戻りました。既に薄暗くなった鹿島神宮を後にして最初の宿である「かんぽの宿潮来」へ向かう。投宿(17時近く)するや早速第一日目の勉強会に移りました。
最初の話題提供は、茨城県農林水産部林政課課長補佐の本多さんからの「茨城県森林・林業の概要」であった。茨城県林業の特徴は、林野率31%、ha当たり蓄積:全国平均値、民有林率76%、民有林人工林率55%、生シイタケ生産全国10位、原木生産2位とのこと。林産物の生産動向は全国的な傾向と同じで減少傾向で推移していて、この要因は、住宅着工数の減少、木材価格の低迷、林道など基盤整備の遅れ、林業担い手の不足を上げていました。(素材生産量H20/H7=80.4、特用林産物生産(生産額74.9、キノコ類生産額78.1、生シイタケ生産量59.6、うるし生産量21.1))
平成20年度から「森林・湖沼環境税」を導入したそうです。個人年額1,000円、法人2~80万円の5段階の課税による見込み税収16億円で森林の保全・整備や湖沼などの水質保全のための施策を実施しているとのこと。具体的な林業施策として、適正な森林整備の推進(間伐作業・作業道開設・林業機械導入やレンタルへの助成、平地林・里山林整備への助成、森林整備補助作業員養成、原木市場及び乾燥施設整備への助成など)、また、県産材利用による新築への助成、公共施設の木造化・木質化助成、森林づくり普及啓発や森林環境学習活動、学校林整備への助成等を説明してくれました。
次は「中国木材(株)鹿島工場の経営概要」についてで堀川保彦工場長さんから話題提供がありました。具体的な数字を使っての熱弁で企業機密にも係わるような内容まで含む大変勉強になったお話しでした。私にとって大変興味を引いたのは製材歩留まりのところでした。鹿島工場の製材システムは世界最新のもので殆ど全てがセンサーシステムでコントロールされており、原木はベルトコンベアを流れて、最終的な製品である20種のラミナに加工されます。人間は一連の流れを監視するだけの任務で要所要所に配置されているだけ。問題は、製材歩留まりが最大になるよう設計されているにもかかわらず、現在のところ、設計通りには稼働できていないとのこと。その原因は製材工場内に漂う「製材埃」だそうです。現場の見学中、歩行桟に絶えず埃がついて瞬く間に白っぽくなってしまうことを観察してます。センサーがあまりにも敏感過ぎてその埃までに感応し、木取りを狂わしてしまうのだそうである。人間もチェックしているが、新人とベテランではその是正の処置能力は雲泥の差があるそうです。本社では歩留まり58%を達成しているが、鹿島工場では2%ほど悪い状況で改善に努力されているとのことでした。その他、今後の集成材の方向、円高が進む中での価格の問題、市況の動向、原木の確保の問題、国産材やハイブリッドビームへの期待等々沢山の話題が提供されました。
約1時間半ほどの勉強会が終わり、その後、話題提供者を交えての夕食の席は賑やかなものでした。
(報告(4)へつづく)
平成21年12月 大貫仁人