2004年11月20日
小林 富士雄
早生樹という言葉はお聞きになっていると思いますが、早生樹協議会という名称はあまり知られていません。実は私はその会員です。早生樹協議会の正式名称は中国ポプラ等早生樹調査開発研究協議会です。その名が示すようにこの協議会が発足したいきさつは、中国の暖帯系ポプラ(通称イタリーポプラ)が驚異的な成長をしているというアメリカの学術誌の記事に触発され、いまから10年前(1994)に私を含め4名で調査団を編成し山東省、江蘇省で予備調査をしたことが始まりです。
文献で確かめたとはいえ、正直のところ現地を踏むまでは半信半疑でした。というのは昭和20年代私の学生時代から始まり十数年で失敗に終わった日本のイタリーポプラ導入の歴史を身近に見聞してきたからです。しかし中国の大地に立ってみて、この疑問が氷解しました。即ち植栽地は黄河と長江に挟まれる下流域の水分条件良好の平原深土地帯であり、これこそイタリーポプラの原産地が米国ミズーリ河流域であることに由来するものであること、さらにこのような適地が日本では極めて乏しいことが日本での不成功の原因であったことが直ちに理解できました。
この予備調査に引き続き(社)海外農業開発協会(OADA)の受託調査が5回にわたって行われ中国暖帯系ポプラの資源と加工利用の実態がほぼ明らかになりました。この間早生樹協議会が発足し、多くの会員が調査に参加しました。このポプラは米国原産のEastern cottonwood (Populus deltoides)を主体に欧州原産種と交雑してつくったものですが、イタリーから中国へ導入されたのは1975年南京林業大学の王教授によるもので、まだ30年にも達していませんが、その蓄積量は優に1億立方米を超えています。
このポプラの特長は、すぐれた成長量です(写真1~4)。適地(水と深い土)でさえあれば7年位で合板用単板が剥ける程度に成長します。年平均成長量はヘクタール当たり20~30立方米は優にあります。このポプラはまた農業生産と相性がよく、作物の被陰としても利用されます。最初の頃は露地栽培の利用だけであったものが、最近ではビニールハウスの日陰として上手に利用されています(写真5~7)。
木材の加工利用も有望です。私共が最初調査した頃は、農家の軒下で箱材用に製材するか、部落単位で購入した小型機械で単板を挽いて手製の粗末な合板を作る程度でした(写真8~9)。加工技術は年々高度化し、実用に耐える程度の合板を部落単位の工場でも作るようになり、その数も驚異的に増えてきました(写真10)。2002年には合単板工場の残材を加工し、高度な機械設備を要するMDF(繊維板の一種)の工場まで各地で見られるようになりびっくりしました(写真11~13)。このようにして各地にポプラ産業とも云うべき新しい産業が各地に出来上がっています。
これらの調査結果は海外農業開発協会から報告されています。その一部を私の写真で以下に解説します。
2004年11月 小林 富士雄
色々な植栽地
写真1 農業に適さないこのような滞水地も適地である。
(1993年4月)
写真2 農地の境界に植えたポプラ。これを農田網林という。
(1993年4月)
写真3 場所さえあれば植える。家のまわりを四旁林という。
(2000年4月)
写真4 農道わきの植栽木。これで12年生。(1993年4月)
農業との共生
写真5 植栽列の間に農作物。
(1993年4月)
写真6 ポプラ林で野菜のビニールハウス栽培。
(2002年11月)
写真7 マッシュルームの栽培。ポプラは被陰樹としても役立っている。
(2002年11月)
ポプラ材加工利用の発展
写真8 初期の頃のポプラ材利用―農家の軒先で箱材用の製材。
(1993年4月)
写真9 初期の頃のポプラ材利用 ―小規模な合板工場。
(1993年4月)
写真10 加工方法がやや進んできた頃の合板工場。
(2000年4月)
写真11 繊維板加工のためポプラ残材の粉砕処理。
(2002年11月)
写真12 ポプラ残材を主に新設されたMDF工場。
(2002年11月)
写真13 ポプラ材を主に作った加工製品の出荷。
(2002年11月)