2016年9月14日
田中 潔
2016年8月30日から9月25日まで、国立科学博物館(上野公園)において、標記の企画展が開催されています。田中芳男は「博物館」という語句の生みの親として知られています。
田中芳男は明治から大正時代の博物・物産学者で、ビワ、リンゴなどの農産物の普及・開発に大きな貢献をしました。また、1867年、幕府からパリ万博への出張を命じられ、その後、明治政府になってからも、1873年ウィーン万博、1876年フィラデルフィア万博と、立て続けに海外に赴き、常に日本側の責任者として働きました。この経験を活かし、第1回から第4回までの、上野公園あるいは京都・岡崎公園における内国博覧会の中心人物としても活躍しました。
田中芳男は希代のコレクターで、「博覧会男・展覧会男」の異名にぴったりの人物でした。日本国内や外国旅行において、手に入るものは何でも集め、すべて捨てずに、整理して、スクラップ帖を作成しました。『捃拾帖(くんしゅうちょう)』というシリーズだけでも98冊。その他の6,000冊の蔵書とともに、東京大学総合図書館に、一括保存されています。明治・大正期の殖産資料としては膨大なもので、今後ますます、多くの研究者に利用されていくでしょう。
8月29日に内覧会があり、胸像除幕式に参列してきました。胸像の隣にある肖像画は中原悌二郎の油絵です。彫刻家として有名な中原には、多くの彫刻がありますが、絵は大変珍しく、博物学・植物学に興味がない人でも、この絵は、一見の価値があります。
ぜひ、見に行ってみて下さい。65歳以上、入場無料。
平成28年9月 田中 潔